2017年4月26日水曜日

第33回宮古島トライアスロン


33回宮古島トライアスロンを完走した。自身6度目の宮古島大会、そして5度目の完走。3年前の第30回の時に、2回パンクしてリタイアして以来の、4年ぶりの完走。タイム的には今まででワーストだったけれども、完走できて良かった。



不調&不運が連続した2014年シーズン以降、自分の気持ちの中でトライアスロンに対するモチベーションが低下したままだった。
その2014シーズンは、まず5回目の出場となる4月宮古島大会は、バイク100km過ぎでの2度のパンクであえなくリタイア。スペアチューブを1本しか携行しなかった自分の判断ミス。その時の調子は悪くなかっただけに、ガックリと落ち込んだ。
続く6月のアイアンマン70.3セントレア。バイクで再びパンク。チューブ交換してレースには復帰したものの、バイク終盤でほかの選手と接触して転倒。ヘルメットのインナーが割れるほど頭部を強打した。何とか完走はしたものの、ラン中もずっと頭が痛く、後味の悪いレース結果だった。
そして、9月の伊良湖。レース当日の朝、宿から会場へ向かう途中、荷物をバイクの前輪とフォークの間に挟み込んでしまって転倒。しかも荷物が手に絡まっていたため受け身が取れず、顔面を強打。顎を裂傷してDNS&救急搬送。歯も3本折れた。

それ以降、何となくトライアスロンに対するモチベーションも下がってしまい、日常生活の中でトレーニングに時間を割くことが少なくなってしまった。
2015シーズン、2016シーズンとも、どのレースにも申し込まなかった。このままではいけない、と思いつつも、仕事や日常生活の多忙を言い訳にしていた。そして、201612月末、ネットで宮古島大会の当選を確認した後も、参加費を振り込んだ後も、航空チケットをゲットした後も、そして宿泊先を決めた後も、トレーニングを増やすことはできなかった。

仕事やプライベート、子育てや家庭環境の変化、そして自分自身の老化など、言い訳をしようと思えばいくらでも言える。何だかんだと自分の中で理由をつけては、トレーニングをサボる日々が続いた。そんな日々を反省して、朝ジョグをしてみるものの、習慣化せずにまたサボる言い訳を考える毎日だった。気が付いたら昨年の秋頃から今年の2月末まで、一度もプールに行っていなかった。
3月になって、さすがにそろそろトレーニングをしなければヤバイ、と自分でも思い始めた。この時点でDNSの決断はしたくない。そうであればトレーニングをしておかなければ…。ということで、ようやくプールに行く時間をつくり始めた。

そして迎えた第33回宮古島大会。足裏にできた水ぶくれが痛くて痛くて、ラン後半で大きく失速してしまったものの、何とか完走することができた。6回目の出場で、5回目の完走。大会出場が3年ぶり、完走は4年ぶりなので、やっぱりうれしい。完走できるかどうか本当に不安だったけれども、出場して良かった。出ようかやめようか迷っている自分の背中をドンと後押ししてくれた、子どもたちにも感謝。


ただ、反省すべき点は多々ある。中でも一番の反省点は、やはり自分の気持ちの弱さ。ほとんどトレーニングをしていない状態で宮古島の選考に受かったものの、完走できるようにトレーニングをガンバる、というモチベーションが持てず、出場するかどうかの迷いから抜けられなかった。そのために、職場やトライアスロンの仲間にも「宮古島へ行く!」という宣言ができないまま、春までズルズルと過ごしてしまった。

ロングの大会に出場し、完走するためには、それなりのトレーニングが必要なので、本来ならば周りに対して早いうちから「行くぞ!」と宣言し、自分をトレーニングしなければならない環境に追い込むことが必要。それを「周りの人たちには(宮古島へ行くと)まだ言っていないのだから、トレーニングが間に合わなければ行くのを止めればいいや。」というスタンスで、グズグズウジウジと過ごしてしまったこと。


これからのトライアスロン生活がどうなるかはまだ分からないが、どうせ大会に出るのであれば、それなりにトレーニングを積んで、レースが終わった後に充実した気持ちになれるように準備をしたい。